2013年3月4日
岩手県 住宅改修実務者研修会
そして、福島へ
研修会でのPowerPointスライド。
かなり重いデータですが、 興味あるかたはFLASHをご覧ください。
2013.02.01(木) 東京駅にて。 初めて乗りました、東北新幹線E5系。 新青森までの開通に伴い「はやぶさ」として華々しいデビュー、2011年3月5日でした。 六日後があの大震災。
2013.02.22(金) 研修会当日。会場の「岩手県福祉総合相談センター。前夜は雪が舞っていました。
岩手県は広いです。都道府県の中で北海道に次ぐとか。 三陸の宮古や北端の二戸、遠野物語の遠野市からも参加してくださったかたあり、 熱心さに頭が下がります。
会場から見た岩手山。標高2,038m。 富士山に似た気品あり。
研修内容は、PowerPointを参照いただければおわかりいただけるでしょう。 途中、演習課題を解いてもらい、 グループワークで職種間の交流もいくらかはしていただいたのですが。 有意義な研修だった、と感じていただけたでしょうか。
朝9:30から16:30までの予定でしたが、私の都合で終わりを16:20としていただきました。 16:40盛岡発の新幹線に飛び乗り、福島市へ移動。
当夜のテーマは「葛尾村における避難と復興に向けた取組み」 副村長さんによる報告と問題提議。
私の感想。 村の基盤が「豊かな自然、なかでも山林」であり山林の除染が絶望的なら、 致命的なリスクを負っているわけで。 山林の除染が見通し立たない今、まったく新しい村づくりを考えるしかないのでは? と思えました。
2013.02.23(土) 福島市中心部にある公園の線量計。 1時間あたり0.203マイクロシーペルトを示していました。 福島第1原発からの距離が60qほどありますが、現時点では3〜40qほどの地点とさほど変わらない。 県内の線量分布地図に如実に表れていますが、風向き、地形、地盤や建物影響など要因はさまざまです。
この福島市内にいくつか仮設住宅があるのですが、 市内から避難する、特に子を持つ親御さんの気持ちは察するに余りあります。
2013.02.24(日) 「福島キリスト集会所」にて礼拝を守る。 6人ほどの小さな集会ですが、皆さんとても熱心。 公務員、大学生、有料老人ホームの入居者、小学生など、さまざまな兄弟姉妹が集っています。
二月も末に近いのに、地元のかたもびっくりの吹雪。 寒かった〜。
2013.02.25(月) 福島市からバスで1.5時間ほどの南相馬市へ。 蔵を使ったギャラリーで開かれていた写真展。 相馬といえば野馬追で有名。 震災があったからこそ、の気概あふれる現代の武士(もののふ)たちの面構えに圧倒されます。
南相馬市役所ロビーの線量表示。 原発から25qほどの距離だが、同60qほどの福島市とさほど変わりません。
海岸から約1q、何にもなくなってしまった、まさしく更地。
更地と、ギリギリ津波の被害を免れた住宅の、ここが境目。 正面の白い住宅は、躯体が残ったものの、サッシが破れ、屋内はめちゃくちゃに壊れていました。
道路沿いの掲示板をのぞき込んで愕然としました。 貼ってあるのは、なんと震災で亡くなったかたのリスト。 およそ五百人。 それでも「ガンバレ」と自らを鼓舞する。
南相馬市内の仮設住宅。市内に約20カ所。
無垢の羽目板を張った外壁とペアガラスのサッシ。 一定の断熱気密効果はあるはずです。
被災地を訪れて、西村はいったい何をしに行ったのか。
まだまだガレキや住宅内外の片付け、草刈りなどの能率は悪いし、片上肢麻痺では。 必要とされているボランティア活動は、 仮設住宅などで孤独な高齢者などの安否確認や話し相手、 子どもたちの教育、遊び相手など。 せめて丸一日か数日間は滞在したいけれど。
曲がりなりにも、建築士兼ケアマネジャーとして何かできることがあるだろう? 無給か復興アルバイトとして。
いま考えています。 この春、4月から何とか。
申し訳ないです、 ここ浜松では、もう、梅や河津桜が咲いています。
被災地からの距離の二乗に反比例するごとく、思いは薄れています。 y=1/ax2 自分たちの防災には関心高くても。 まだ二年も経っていないのに。 私もぬるま湯に浸っています。 ほんとに申し訳ないです。 |