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ときどきコラム

54

2月21日号




梅一輪 一輪ほどの暖かさ

2月23日 近所の農家の梅園にて
日中は暖かくても朝晩はまだまだ冷え込みます。
皆様ご自愛ください。

ビンボー人コレクションシリーズ-4

「グリコのおまけ」その三
“だるまストーブ”


『なつかしの20世紀タイムスリップグリコ』シリーズより

全高85o。金属の質感がよく出ています。特に、やかんのひかり具合などはアルマイトの本物そっくり!

私が通園していた大阪市生野区“すみれ幼稚園”の暖房器具はこれでした。お昼になるとお弁当を温めてくれるのですが、ご飯がベチャベチャになるのが気持ち悪くて(ーー;)
40年以上たった今でも、「冷ご飯を温めて食べる」のはイヤで、冷めたまま食べています。

以前に掲載した「グリコのおまけ」のアップ写真

上:「リカちゃん、アップでもとってもきれい!」
「私、究極の小顔なの。巾7oだし〜」

下:さんま。生と焼いたのものを実にリアルに作り分け。体長35o

キリスト者の自由

岩波文庫「キリスト者の自由」
初版発行:昭和8年

この版は昭和30年に第1刷発行、私が購入した昭和62年にはすでに第35刷でした。
当時の定価250円也。250円でこれだけの書物が読める幸せ。













掲示板で占いのことに触れたので、17年前に読んだ「キリスト者の自由」について少しお話しいたします。
あなたは、しきたりや因習にしばられていませんか。ほんとうの奉仕とは、どのようなことを言うのでしょうか。

宗教改革者マルティン・ルターがこの論文を執筆したのは1520年、日本では関が原の合戦が1600年ですから・・戦国時代でしょうか。
「キリスト教信仰の根本原理を論じ、宗教改革史上最も重要な書物」とされています。

「『キリスト教的な人間』(クリスチャン)とは何か」がこの書物の主題です。
○キリスト者は、すべての者の上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
○キリスト者は、すべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。

この、一見矛盾する二つの命題について聖書から、次のように説き明かしています。

・キリスト者は信仰によって義(神の前に正しいこと=まことの神を信じること)とされる。
・行いによって義とされることはない。
・信仰のみが、たましいを行いから解放する。
・キリスト者の行いは、隣人(まわりのすべての人)への奉仕を目的とすべきこと。

文庫版でわずか50ページほどの論文です。現在の価格はわかりませんが、缶コーヒー数本分くらいでしょう。
是非、書店で手にとってご覧になってください。
以下は最終節からの引用です。

第30節
・・・(前略)・・・以上から次の結論が生ずる。
曰く、キリスト教的な人間は自分自身においてではなくキリストと彼の隣人とにおいて、
すなわちキリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生活する。

・・・(中略)・・・
見よ、これが、心をあらゆる罪と律法と戒めとから自由ならしめるところの、真の霊的なキリスト教的な自由であり、
あたかも天が高く地を超えているように、
高くあらゆる他の自由にまさっている自由なのである。
神よ、われわれをしてこの自由を正しく理解し、かつ保つことをえさせて下さい。アーメン。

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