今年は台風が多く、 塩害で紅葉が長続きしないそうです。 昔勤務していた会社の近く、 青山の神宮外苑をずっと縮小したような 浜松市役所脇の並木道。 11月24日10:49快晴 |
市役所に出向く用があり、 定点観測ができました。 少し落葉が進んでいます。 12月2日9:03晴れ 陽射しが弱く、冬らしい寒々した雰囲気。 |
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2004年12月4日
「段差で育つ」-佐々木正人氏のコラムより
氏は東京大学教授で、専門は生態心理学。
「遊びを育てる-出会いと動きがひらく子どもの世界」「アフォーダンス-新しい認知の理論」などの著作あり。
今年の夏ごろに朝日新聞に掲載された氏のコラムを、とても興味深く読みました。
私のような仕事をしていると、段差というものは、なくすか、あるいはいかにして乗り越えるか、
ということを考える障害物『バリア』です。
いわく、「・・高齢者の身体機能の低下を考慮すると、できる限り段差は解消すべきである。」
(福祉住環境コーディネーター検定・2級公式テキストより)
「バリアフリー=段差をなくす」ことだけ、と思い込んでいる人もいますし、
そのように広告している住宅会社もあるようです。
ちなみに、「住宅の品質確保の促進等に関する法律」では、
「段差なしとは『段差5o以下』をいう」と規定されています。
当然、この基準にかなうようにつくれば家の中はほとんどまっ平らです。
我が家は敷地が狭いので3階建てで、事務所(6帖の仕事部屋です)は3階にあります。
いやでも一日何回も昇降するわけですが、これがなかなかいい運動です。
いうまでもなく、高齢になっても歩くのは体によいことです。
では、歩き始める頃のあかちゃんにとって段差は?
以下、全文を転載いたします。(太字加工は西村)
段差で育つ |
このところ、あかちゃんのビデオばかり見ている。 ある家庭にお願いして、誕生から2年間、毎週撮ってもらった。 普通の日常、食事、着替え、遊びなどが映っている。 しばらくして、床の凸凹の意味が見えてきた。 首がすわった頃、仰向けのあかちゃんは寝返りをしようと全身をねじりはじめた。 うまくいかず足で布団を何度も蹴った。 全身が移動し、ベビー布団からはみ出し、布団の縁と床の数センチの段差に乗った。 段差が「あと押し」したように、くるりと寝返った。 はいはいは、はじめの頃はゆっくりだった。 部屋と部屋の間に、10センチくらいの段差があり、尻を先にして慎重に下りていた。 ある日、片手を段の下について、頭から下りた。 全身がつっこんで傾斜し、はずみで一気に加速した。 手足の動きが、スピードのあるはいはいのリズムを獲得した。 引き戸のレールが床から出っ張り、はいはいでは越えられなかった。 あかちゃんは、思いきった表情で、両手で戸の片端につかまり、よじ登り、立ち上がり、 その姿勢のままレールをまたぎ越えた。 つかまり立ちと、立ったままの横への移動がはじまった。 床面にはいろいろな段差がある。 あかちゃんはそこで大胆に「落下」や「転倒」を試みる。 段差だけが与えられるこの不安定が、運動を育てている。 段差は移動を妨害する。だから創造もしている。 もしどこまでもただまっ平らな床の上で子どもを育てたら、 運動発達は随分と難しくなるのではないだろうか。 |
このコラムを読んで、当然ながら自分の孫を思い浮かべました。
私が孫に会えるのは数ヶ月に一度くらいですが、
彼の歩行や移動の発達について興味を持つようになりました。
長男一家は200qほど離れたまちのマンション住まいで、
住戸内は「バリアフリー」とはいきませんが、ほとんど段差がありません。
玄関と洋室-和室間の敷居段差(=畳の厚さ分)、ユニットバス、ベランダ出入り口くらいのものです。
となると、布団の厚みや敷居だけが通常接する段差というわけです。
そのためか、我が家に来ると、普段の生活では見ることのない階段を上がろうと一所懸命です。
子どもたちが幼かった頃、私はゼネコンのサラリーマンで、
とても成長を見守るような時間の余裕も心の余裕もありませんでした。
皆さん、子どもや孫の幼い頃の姿をじっくり見ることのできる機会は、宝石のように貴重です。
「発達過程の観察」など抜きにしても、この貴重な時間を大切に共有してくださいね。
以下で紹介する映像は、孫に会ったときに私が撮影しているものです。
ビデオカメラは持っていないので、デジカメで撮っていますからあまり鮮明ではありませんがご容赦を。
「なんだ!結局、ジジばかのホームページじゃん」と言われそうですが、お許しくださいませ<m(__)m>
写真をクリックするとWindows Media Playerで開きます。
音声が出るのでご注意ください。