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2005年8月15日
きょう 8月15日は、まったく仕事をする意欲なく、この本を読んだり、残暑見舞い状を書いたり。 1957(昭和32)年生まれの私は、真剣に戦争について考えたことは一度もありませんでした。 だれも教えてくれないし、私自身が知ろうとしなかったのです。 「あの戦争は何だったのか」保阪正康:著、新潮新書 『あの戦争は何を意味して、どうして負けたのか、どういう構造の中でどういうことが起こったのか』 「戦争童話集」野坂昭如:著、中公文庫 アニメ映画「火垂るの墓」の原作は、野坂少年の体験による小説です。 『昭和20年、8月15日・・・』で始まる童話12編 |
8月6日は広島、9日は長崎に、 原爆が投下されて60年目。 15日は敗戦記念日です。 ↓ 上記は当初の記述でした。 「あの戦争は何だったのか」によれば、 『8月15日を終戦記念日としているのは日本だけ。 国際的には、日本がポツダム宣言を受諾し、 降伏文書に調印した、 9月2日が日本の敗戦の日』 われわれ日本人はこんなことも 知らされていないのか・・ |
8月6日夜の「NHKスペシャル」ご覧になりました? 『被爆者 命の記録』 〜放射線と闘う人々の60年〜 原爆投下により、 熱や爆風、火災で亡くなった方たちだけでなく、 放射線により染色体が破壊され、 いまだに新たにガンが発症したり、胎内被爆で子供にも障害が残る・・・ こんな、当たり前に想像できることを、 知らずにいました。 私が「知ろうとしなかった」わけです。 被爆したときに、もっとも成長が著しい(細胞分裂が活発な部位)に障害が発生するそうです。 女学生は乳ガンに、10週頃の胎児は脳に・・・ なんとわかりやすく悲しい理屈でしょう。 胎内被爆して生まれた子が60歳になり、 介護している親が90歳。 8月12日までは終戦・被爆特集です。 平和であること、戦争のことについて、 いくらかは考えてみたいものです。 昭和20年生まれの人が、もう60歳。 語り継ぐ人も少なくなります。 |
「“戦後”なんて地球上に一度もおとずれていないじゃないか?」
このPIKADON PROJECT編による絵本『ふたつの黒い雨』 CD付きです。 税込み1,680円 絵は黒田征太郎さん 「黒い雨」 作詞・作曲 佐原一哉 歌 古謝美佐子 「心の街」 作詞・作曲 近藤等則 歌 都はるみ
写真は「黒い雨」の一節。 日本語と英語で表記されています。 原爆投下を「必要だった」という旧連合国の人たちにも読んでもらいたい、当然ながら。
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頑固だからこそ・・・ 一人暮らしを50年以上、80歳の婦人。 心不全で入院し、心配する親戚からは「田舎に帰ってこい」といわれても「ここで暮らし続ける」とがんばっています。 猜疑心が強く要介護認定も拒否していましたが、在宅介護支援センター職員や病院スタッフの薦めもあり、ようやく介護保険を利用することになりました。 道路から玄関までの高低差が約1mあり、当初ケアマネさんからは「階段を造ってはどうか」との意見でした。 ご本人に会いT字杖でしっかり歩行できることを確認し、「対費用を考慮しても、階段より手すり設置だけで大丈夫でしょう」と提案し、見積を確認いただいた上で施工。 上框部の踏み台、手すりと併せ総額6.5万円。 退院後、周囲も驚くほど元気になり「外出を控えるように」と言われても、買い物やスーパー銭湯にまで出かけているとのこと。 孤独感や寂しさは・・心の深いところまではわかりません。 しかし、心も体もタフでなければ生きていけない・・・ことはわかります。 私の祖母に似たような人でした。 この住宅のつくりも、私が育った家に似ています。 |
服部宣教師一家がテレビで紹介されました |
放映前にお知らせしたこの番組【2005年7月9日(土)】をご覧いただいたでしょうか。番組のホームページではバックナンバーとして掲載されています。 テレビ朝日系、『ポカポカ地球家族』
私の属するプロテスタント教会・“遠州中央浜北教会”からカンボジアに派遣されている服部宣教師一家。ご主人は元・自動車メーカー社員、奥さんは看護師でホスピスに勤務していました。子どもたち二人は小学生。 あくまでも宣教師なのですが、番組では福祉事業家のように紹介されました。バラエティ番組ですしスポンサーの意向もあるでしょうから仕方ありません。役人の慢性的汚職問題や大きな貧富の差、エイズなどの悲惨な面も意図的に割愛されていました。 それでも、日本人が彼の地でこのような活動をしていることが紹介されたことを感謝します。服部宣教師一家は、あらゆる活動や生活を通して、主なるイエス・キリストの福音を宣べ伝えています。 |