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ときどきコラム

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2005年9月13日

衆議院総選挙を終えて   2005年9月13日

東條型ファシズムの不安

〜自民党大勝に思う〜

保阪正康氏のコメントから

9月11日の投票、開票結果について、読者の皆さんはどのように感じていますか?

「えらいことになったなあ。日本はこれからどうなっていくんだろうか」と漠然と思う人が多いのでは。

私は若い頃は、日本の将来なんぞ考えたこともない、いたってノンポリでしたが、子どもや孫や、無数の人たちの未来を考えるようになったのは年齢のためだけでしょうか。

以下は、中日新聞9月13日付け夕刊から私が勝手に抜粋したものです。(著作権を無視して申し訳ない)8月に氏の著作『あの戦争は何だったのか』を読んだばかりでしたので、特に興味をひかれました。

・・・この結果ではまさに大政翼賛会的方向が加速されるだけではないかと懸念される・・・

・・・衆議院で2/3を超えればどのような法案も小泉自民党の思うがままになってしまう。表面上はファシズム体制も可能になった。今回の選挙は戦後60年そのものの負の遺産ということで歴史に刻まれるように思う。

・・・昭和史の中にこれと近似した総選挙が二回あったと感じていた。

ひとつは、昭和17年4月の東条英機首相による翼賛選挙。・・・「聖戦完遂」の名のもとに、東條の意を受けた翼賛政治体制協議会が候補者の推薦、非推薦の峻別を行っての総選挙であった。・・・議会は「死んだ状態」になる。

もうひとつは、吉田茂首相が昭和27年8月に行った抜き打ち解散選挙である。

・・・吉田は自由党内反吉田派の鳩山派議員の追い落としを図って、議会開会二日目にまったく抜き打ちで解散してしまう。

・・・今回の総選挙は、「聖戦の完遂」を「郵政民営化」に変えれば東條型だし、政敵の抹殺を図る点ではより吉田型に近い。

・・・小泉首相は東條型、吉田型のいずれももちあわせていて、結果的に東條型のファシズムに近づく可能性があるのではないか、とさえ思う。

・・・イエスかノーかだけを迫る扇動的な演説やプロセスを省いてのフレーズ好みは、この社会の欲求不満の人たちをひきつけるし、常に「敵」を想定する手法は思考や論議を遠ざけ、感情が全面にでてくる社会の空気を生んでいく。

非礼な推測になるが、今回の総選挙で小泉自民党の尖兵となった刺客と称する「推薦議員」への無党派層の票は、この社会の空気に流されていると分析できるのではないか。

・・・表現の自由を含めて市民的権利が保障されている社会にあって、実はその権利に倦んでいて、結論のみを感情で求めてそれで事足れりとする風潮がファシズムに直結していく。恫喝で世論が一元化するようなことがあってはならない。

小泉首相の感情を主軸にする言動は、私たち自身の日常生活そのものの反映ではないか。そのことに改めて思いを馳せるべきだと思う。

(抜粋はここまでです)

いまの時代のキーワードは感情でしょうか。だれもが思考停止状態になっていて、国民感情を繰るのに長けた政治家やマスコミに踊らされているのでしょうか。

衆議院解散で一旦棚上げになった、障害者自立支援法案と郵政民営化法案が、9月末からの特別国会で強制採決される見通しです。

私たち国民が投票したことの責任は、私たち自身が負うことになります。

今晩(2005.9.18)は中秋の名月です

19:45撮影、月齢14.7

まだ高度が低いので、

かなり黄色い、白内障のような?月です。