|
複 合-2
|
||||
プチ耐震補強を伴う住宅改造工事 |
プチ耐震補強を伴う住宅改造工事 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005年12月に依頼を受け、協議を重ね設計。契約し、年明けに着工。 「入院期限の1月末までに完成させる」工事の進捗状況を紹介します。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.対象者の状況と住宅改造にいたる経緯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Aさん。女性。64歳。 肺結核から脊椎カリエスを発症。円背(いわゆる猫背)が強い。身長110p。何とか杖なしで歩行可。 半年以上総合病院に入院しており、退院後は本人にとって初めての在宅酸素療法を施行することとなる。 家族・・夫に先立たれ、子はあるが事情により十年以上独居。現在は音信不通。 遺族年金で生活は維持できる。数百万円までは住宅改造に使える貯金がある。 となりに姪のBさん一家が住み、何かと世話をしている。 退院後は訪問看護やホームヘルパーの利用を考えている。 特養老人ホーム入所が妥当とも思えるが、病状のゆえ入所を受け入れる施設がなく、入院継続も費用がかかりすぎる。 本人・姪・病院のケースワーカー・在宅介護支援センターを交えた話し合いで、 「家屋を改造して生活を続けるしかない」との結論にいたった。 まだ介護保険対象とならないため(65歳の誕生日である2006年3月末までは2号被保険者)、 在宅介護支援センターのC職員が担当となり、Cさんから西村に住宅改造計画の依頼があった。
12月初旬、協議開始の頃、病院のケースワーカー曰く、 「暖かくなるまでに住宅改造して下さい。生活できるようになるまで退院をせかすことはありません」 →ところが12月9日「医師から12月末に退院するように」との勧告あり。理由不明 →ケースワーカーを通し、「何とか完成まで退院を待って欲しい」と伝える →「一月末でよい」との回答を得る
家屋の老朽化のため、すきま風や雨漏りがひどい。 Aさん「特にトイレの雨漏りがひどく、使うのもイヤだった」よくこの状態で生活していたものである。 病状からみても、この家屋現状のままで生活を継続することは困難。 西村への打診以前から在宅介護支援センター・Cさんは浜松市高齢者福祉課と協議し、 「住宅改造費助成制度」を利用可能であることを確認済み。 できるだけ早く改造方法を決定し、申請、施工の必要があるので、 西村が打診をうけた翌日には現地調査・打ち合わせることとなった。 立ち会いは、姪Bさん・C職員。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.住宅の現況・・・「戦後すぐ建てた」いわゆるバラック住宅。バラックて何?現況調査と、さらに工事を始めてからその実態がわかってきました。 JPEG画像に変換しているので見にくくて恐縮ですが、これが現状平面図。図の上が北、右上が玄関です。 これが、西村が提示・見積し、施工実施にいたった改造図です。 《プチ耐震補強》家屋全体の耐震補強は費用がかかりすぎ、小さな住宅を新築する程度の費用がかかってしまいます。 西村の提案は、中央の6畳間をシェルター(避難所化)し「この部屋にいれば安全」という部屋をつくりあげることです。 東西方向の壁を増やし、四隅を固めます。さらに部屋全体の壁に構造用合板をはって補強。 つまり頑丈な箱をつくるわけです。 ベッドやテレビ、電話機をこの部屋に置き、「生活の中心をこの部屋で過ごしていただく」 もちろん家屋全体の耐震性能も向上するのですが、 他の部屋にいても地震の揺れを感じたらこの部屋に逃げ込んでもらう、という設定です。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|